BM主席講師・井上晋の『マッチョな政治といつか来た道』 第7回
ほぼ月イチコラム 明日で10月も終わりです。
映画『清須会議』から歴史をひも解いて…
BURNING MIND主席講師・井上晋の『マッチョな政治といつか来た道』 第7回
本屋でふと目に止まって手にした、
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ついつい、本棚の奥から、10年以上前に読んだ、
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島耕作も驚く出世ストーリーは、
それ自体が、最高のエンターテインメントです。
- 作者: 司馬遼太郎
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さて、主人公の豊臣秀吉が成し遂げた多くの奇跡的な偉業の一つに、
「中国大返し」というのがあります。
本能寺の変を知った秀吉が、
目前に迫る毛利軍を高松城に釘付けにしながら、
京都まで神がかり的なスピードで引き返し、
明智を討った、というものです。
(詳しくは↓↓)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%A4%A7%E8%BF%94%E3%81%97
このとき毛利軍は敵の秀吉を
追撃できなかったのではなく、
追撃しなかったとのこと。
なぜ、追撃しなかったのか。。。
司馬遼太郎によれば、
それは、旧主信長と秀吉との、統治哲学の違いによるもの
としています。
刃を交えながらも、敵将の秀吉に対して、
毛利家の大将小早川隆景は、
統治者としての秀吉に強い信頼を持っていた、
ということを司馬先生は言っています。
そして、追撃をしてこないことを知った秀吉は、
そのことで、隆景の真意をくみ取ったと言っています。
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さてさて、戦国の世の、卓越した武将同士のコミュニケーションを
現在の教訓とすることは、とても難しいことなのですが、
現在にくらべて、圧倒的に情報量が少なかった当時、
命を懸けた決断をする彼らは、
人物を見る目が、現代人よりも圧倒的に
長けていたのではないかと思うのです。
電話やメールで頻繁にやり取りができるわけでもなし、
相手のブログやFacebookをみれるわけでもなし、、
テレビからバンバンとニュースが流れてくるわけでもなし、
たとえ言葉を交わせたとしても、
陰謀、権謀が渦巻く時代において、
言葉はすべてではない。
結果、自らを守るためには、
「何を言ったか」ではなく、
「誰が行ったのか」
「どのような環境下で言ったのか」
を鋭くとらえて、
その人物の腹の座り度合や
利になびくのか、義になびくのかなど
人物そのものを、
見定めていたのでしょう。
「使えるディベートセミナー」でいうところの、
エートスです。
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振り返るに、現代の我々は、
いかに、「何を言ったか」に振り回されていることかと
少し恥ずかしくなりました。
恣意的に切り取られた言葉の断片で
右往左往している我々は、
戦国の武将から見れば、
滑稽な群衆かもしれません。
「誰が言っているか」ではなく、
「何を言っているか」
で物事を判断するのは、大人のコミュニケーションの
第一歩であることは間違いないでしょう。
その上で、もう一度、
正しく人物を見極める目でもって
「誰が言っているか」を
見極めるコミュニケーションが、
成熟していくということなのでしょう。
以上